Abstract
明治期から太平洋戦争の終戦まで、現人神天皇や神道を中心とした天皇制イデオロギーが日本人の精神意識に広がっていた。一神教を信仰するキリスト教徒は、この天皇制イデオロギーを避けたり、妥協したり、融合したりして独自の存在感を示していた。その中で、彼らの一人である新渡戸稲造による『武士道』は国際的に構賛された。明治期におけるキリスト教徒による武士道は、天皇制イデオロギーとの間にどのような関係があったか。この疑問は興味深いものである。すでに筆者は、浮田和民による人格武士道について考察を行ってきた。その結果、浮田は当時の主流派が主張する武徳武士道と対立して批判されていたことがわかった。本発表ではそれに続き、この人格武士道が挫折した後の展開に焦点を当て、綱島梁川の人格武士道と新渡戸稲造の平民道について考察を進める。そして、天皇制イデオロギーにおける大正デモクラシーと結びついたキリスト教的武士道を明らかにする。