Abstract
明治期、忠孝を頂点とした明治武士道も徐々に確立し浸透しながら、世界大戦期間には政治的宣伝までも行われた。さて、明治の武土道は如何にして帝国という新しい時代の道徳から軍国主義の精神へと変わりつつあったか、が見逃せない問題となっている。従来の明治武士道の研究では、明治武士道の中身について触れているが、武士道の国家主義との融合や、国民道徳や西洋化との関係から論ずるものがほとんどで、武士道自身の変化があまり言及されていない。本研究はこの時期の『現代大家武士道叢論』と浮田和民の武士道論説を対象に、新たに検討してみる。その結果、次のことがわかるようになる。佐藤対浮田論争は、実際はキリスト教価値観を持つ浮田和民が武徳中心の武士道に改革を起こそうと挑戦していたことである。浮田は工商業向けの人格や道徳を中心とした武士道を主張している。明らかに、彼の武士道論はこの論戦で挫折を受けた。そのことは、軍部にある武徳中心の武士道が多々認められるようになって同意を得たことをも同時に意味している。武士道はそこで武徳中心へ屈折していき、やがて後々にある軍部が進めていく軍国主義の源となったと言えるだろう。